日本におけるふぐ食の歴史・前半

こんにちは。

前回、ふぐは縄文時代から食べられていたと説明しましたが、それから現代までずっと食べられてきたわけではありません。本日は、波瀾万丈なふぐ食の歴史をご紹介いたします。
またまた長くなりますので、前半・後半と分けてお届けいたします。

◯ 秀吉によって禁止されたふぐ食

縄文時代からずっと食べられていたふぐですが、安土桃山時代に豊臣秀吉によって突然ふぐ食が禁止されてしまいます。朝鮮征伐を計画していた豊臣秀吉は、朝鮮へ渡る前に兵士を下関に集めました。兵士たちが出陣の前祝いとしてふぐを食べたところ、毒の存在を知らず内臓まで食べてしまい、出陣の前に大量の兵士を失いました。これを機に秀吉が「ふぐ食用禁止の令」を出し、ふぐが食べられなくなったのです。
江戸時代に入ってもこの禁止令が引き継がれ、尾張藩と長州藩は特に厳しい取り締まりが行われていました。

◯ 禁止されても庶民は食べていた

ふぐ食が禁止されている時代、武家の人々はふぐを食べる事が困難でしたが、庶民の間ではふぐが食べられていたそうです。江戸時代は魚の食文化が発達した時代で、ふぐを汁物にして食べる料理法が記録されています。
江戸時代後期の元禄・文化文政時代になると武士階級の人々にもふぐ食文化が広まり、俳句や落語、浮世絵にもふぐ食の記録が残っています。

縄文時代から食され、安土桃山時代にそれを禁止され、それでもなお庶民の間では食べられていたふぐ。
他の魚とは異なり、なんとも波乱万丈ですね!
次回は日本におけるふぐ食の歴史・後半をお送りいたします。

本日も長い記事をお読みいただきありがとうございました。

今後も「内野屋」をどうぞよろしくお願いいたします。

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